小さな物語

日常の中で、ふっと頭に浮かぶイメージや言葉を追いかけていく…、 そこから出来上がる小さな作品です。

ジェンとケイトの物語 no.8

大きな魚が小さな魚を食べ尽くした

大きな魚はさらに大きな魚に食べ尽くされた

さらに大きな魚はさらにさらに大きな魚に食べ尽くされた

最後には巨大な魚がすべての魚を食べ尽くした

巨大な魚はもうなんにも食べるものがなくなると

自分自身を食べはじめた

巨大な魚が自分自身を食べ尽くすと

世界は真っ暗になった

 

 覇権争いの行末はいったいどんなものだろう、多様性を失った世界の行末は…。ケイトは頭の中で呟いた。いつの時代も、巨大な魚はすべての魚を食べ尽くそうとする。巨大な魚はいっとき一時代、世界を支配するかに見えても、やっぱりそれはいっときのこと。必ず彼らの支配は崩壊する。それは変わらない歴史の営みに見える。今世界で大きな口を開けて泳ぎ回っている巨大魚たちの争いはいつ止むのだろうか。大きな自然の摂理では、弱すぎるものは言うまでもなく、強すぎるものも排除される。強すぎるものは生態系のバランスを危うくするからだ。自分はどうみても弱いものの方に入る、生き延びられるだろうか、気が滅入る。

 ケイトは詩が書かれた手元のページに視線を戻した。それはたまたま手に取った本の、たまたま開いたページだった。表紙には鮮やかな青を背景に、真っ白な魚の絵が描かれていた。ただ単に青の鮮やかさに惹かれ手に取っただけの本だった。ケイトは本を平台に戻すと、本探しをやめ本屋を出た。気晴らしのために寄った本屋だったが、逆効果だった。外は晴天だ。本の表紙のように澄み切った真っ青な空が広がっている。

 通りは賑やかだった。個性を主張するかのように皆んな髪も爪も競うようにカラフルだ。スマホを片手に歩く恋人たちは、相手の顔を見ることなく会話を続けている。ケイトはネット社会があまり好きではない。とはいってもネット社会の流れはもう誰にも止められない。ケイトの頭がまたイライラしてきた。

 ネットの世界は多様性に溢れている。実に多様な自己アピールの数々が止めどなく流れ続けている。流れはどんどん激しくなっている。企業も、個人も、誰も彼もが情報の巨大な雲の中に埋れまいとしてもがいているように見える。便利で自由な世界であるようでいて、どこか息苦しい。ここに真の自由は、多様性はあるのだろうか。ここにあるのは単に混沌なのだろうか。混沌の渦の中からやがて新たな秩序が生まれるというが、その新しい秩序は私にとって人類にとって吉だろうか凶だろうか。そんなことは、きっと誰も分からない。一寸先も見通せないほど、世界はあまりに混み入っている。人類にとって正しい答えにたどり着くのは至難だ。私には分かりようもない問題だ。考えてもしょうがない、けど…。

 ケイトはまたもや答えのない答えを求めて考えている。それは彼女の救い難い厄介な癖である。彼女は物事の起こりには、必ず自然の摂理が働いているはずだとどこかで信じている。だから考えることをやめられないのだ。

 今日はもう、何も考えたくない。ケイトは公園に向かって歩き出した。っとその時、すぐそばを歩く人物がケイトの目を惹いた。彼が近づいてきた時、ケイトが感じたのはふわっとした空気だった。振り向くと彼は至って何の変哲もない人だった。しいていうなら、癖のない人だろうか。その癖のなさは例えていえば、素材の良さを生かした素朴な野菜料理といった感じだ。彼は振り向くこともなく我が道を行くように真っ直ぐ大股で歩いて行った。気がつけばケイトは足を止め彼を見送っていた。彼が吹かせた新鮮で素朴な風がケイトの中に流れ込み、窮屈になりかけていた思考を解放した。

 本当のところ、個性とはなんだろうか。本当のところ誰れが弱者で誰れが強者だろうか。それは何を大事にするかだ、私が何を大事にしているかだ。自分に訊けばいい、自分が掴み取るものだ。

 

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