小さな物語

日常の中で、ふっと頭に浮かぶイメージや言葉を追いかけていく…、 そこから出来上がる小さな作品です。

ジェンとケイトの物語 no.3

 「芸術家になってはいけない」ハッキリと誰かにそう言われたわけではなかった。しかし、ジェンの頭の中にはその言葉が呪文のようにこだましている。そのこだまを追っていくと遠い昔の記憶の中にある祖父の膝の上にたどり着く。祖父は既に他界している。彼は美しいものとユーモアを愛していた。そんな祖父の膝の上は幼いジェンにとって居心地の良い場所だった。

 その頃のジェンは今にもまして活発で、好奇心旺盛な子供だった。木登りをし、男の子たちと喧嘩をし、川遊びをし、草むらを、そこいら中を駆け回った。一方で夢みがちで想像力豊かな子どもでもあった。そこかしこで見つけた不思議なもの美しいものの話を祖父の膝の上で語るのが彼女の日課だった。祖父はそんなジェンをとても可愛がってくれた。

 ある日祖父は「ジェン、お前の心は美しいものに感心し、面白いものには驚きの声を発し、いつでもどこでもウサギのように飛び回っている。実に忙しそうだね」と言って笑った。そして少し真面目な顔をして話し出した。

 「ジェン、お前は愉快になるのがとても上手だ。何気ない小さなところにも幸せを見つける力がある。それはとても素晴らしいことだ。それらは多くの幸せをお前にもたらすだろう。それは大事にすべきものだ、お前の掛け替えのない宝だ。ジェン、お前は大地の力強い声を聴き、星の囁く言葉を聴く力がある。お前は美しいものの中に潜む良きものと語らう力がある。それはお前に生きるエネルギーを与えてくれるだろう」

 祖父は続けて言う。「ジェン、お前は偽りの中にある卑しい言葉を、美しくない言葉を聴く力も持っている。偽りの美しさを見抜く目を持っている。それはあるがままに見る目と聞く耳を持つ、小さな子どもたちの素晴らしいさだ。だがそれは気をつけなければいけない。大人になっても偽りに対してあまりに敏感だと知らずしらずのうちに不幸がやってくる。だからお前がいつかその敏感さを手放すことを願っている。

 ジェン、お前にそれができるだろうか。神がどうして成長とともにその能力を私たちから奪うのか分からないけれど、時々その能力を失うことなく大人になる人がいるんだ。そんな子どものような脳を持った大人は何故だか芸術家か革命家になるもんだ。それは決して生き易い人生ではない」 

 祖父は好奇心に溢れるジェンの目を捉え、憂いて言う。「ジェン、これからお前が大きくなって目にすることになる世界は、今お前が目をキラキラさせ追い求めている世界とはだいぶ違う世界だ。世界は何故か美しいものより、美しくないもののほうが大きな顔をしているもんだ。あまりに美しい世界を求め過ぎると、やがて世界に絶望することになる。だから程々にしなくてはいけないよ。物事には必ずプラスの面とマイナスの面があるんだ。どんなことにもだ」

 ジェンは今でも祖父の忠告の本当の意味を理解できていない。美しいものへの感心は薄れていないばかりか大人になり行動範囲が広がるにつれ美しいものに出会う機会も増え、ますます高まっていく。ジェンにとって真善美のカケラもないような世界で生きることなど考えられなかった。美は至るところで思いがけない形で潜んでいる。ジェンはその神秘に惹かれ、その秘密に惹かれた。ジェンはまだこの世界は美しいことがいっぱいだと、世界の真の顔は美しいものだと疑っていない。いつの日か、幸せな顔した偉人たちが語る言葉”この世界は美しい”の意味を理解したいと思っている。そんなジェンの人生は薔薇色の中にあった。まだ実社会の闇をくぐったことのない者にとって、それは無垢でひ弱な理想を根っこに宿しているようなものだ。ジェンはまだそのことに気づいていない。しかし美しくない世界は徐々にジェンの世界を脅かしつつあった。

 

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