小さな物語

日常の中で、ふっと頭に浮かぶイメージや言葉を追いかけていく…、 そこから出来上がる小さな作品です。

マグノリアの物語 no.3

 その小さな洞窟は断崖絶壁に鎮座するヘソのようだと思った。絶壁の中腹にくり抜かれた小さな穴は、人がひとり座るには十分な広さの空間があった。その洞窟でマグノリアは荒地を耕す農夫を眺めている。これがマグノリアの新しい日課だ。マグノリアの肩では鷹のクーが主人を真似て同じように農夫を眺めている。このひと月、荒地を耕す農夫を観察するためマグノリアは崖の急な曲がりくねった道を登り下りし、絶壁にへばり付くようにつくられた細い道を渡って洞窟に通い続けた。お陰で華奢だったマグノリの足は以前よりずっと逞しくなっていた。

 崖の上から3年、マグノリアは農夫が荒地を耕すのを見ていた。農夫は朝早くから日が暮れるまで荒地を耕すと、夕暮れと共に粗末な小屋へ帰って行き、翌日日の出と共に再び荒地に戻ってくる。農夫はくる日もくる日も荒地を耕したが荒地が肥沃な土地に変貌する様子は一向に見られない。農夫の営みは成功しているようにはみえなかった。それでも彼は同じ営みを繰り返した。それが何故かマグノリアの興味をひいた。そして今、洞窟から農夫の営みを眺めている。

 農夫との距離を縮めたマグノリアは、いっそう注意深く彼の営みを観察した。しかし見えたのは、以前と変わらない営みだった。太陽が東から昇り西に沈む営みが、永遠と変わらないように、農夫は朝に荒地にやってきて大地を耕し、夕に粗末な小屋へ帰って行く日々を繰り返した。それでも一つ発見したことがあった。農夫の顔に苦悩の痕が見られない。

 農夫は徒労を繰り返すシーシュポスの神話の男のようなその営みを続ける。神を欺いた罪で罰を受けたシーシュポスは大きな岩を山頂まで担ぎ上げるが、頂上へ辿り着いた途端岩は転げ落ちてしまう。シーシュポスは再び大岩を担ぎ上げ山頂へ向かう。そしてまた岩は転げ落ち、再び岩を担ぎ上げ…。思えば、美しく咲き誇った花の命も束の間、人間も星さえも生まれては死ぬ。その繰り返しだ。全てはチリから生まれチリに還って行く。全ては無に還る。

 それでもマグノリは、不条理の中の農夫の営みを美しいと感じている。農夫の顔には苦悩の痕がないばかりか幸福感さえ漂ってくる。彼は豊かな稔りを確信しているからだろうか。それとも彼は単に無垢な子どもがそうでるように、何も理解していないのだろうか、それとも彼には不条理のその先の壮大な景色が見えているのだろうか。農夫には不条理という不運を、陰鬱な不幸に貶めない力強さがあるのは確かなように思えた。

 不条理の中で幸福感さえ漂わせる農夫。その秘密は不条理の裏に隠された神の秘密の教えか、宇宙の叡智か、悪魔の誘惑か…マグノリアは益々農夫に興味を抱いた。

 ペストを書いた不条理小説家のカミュはシーシュポスの神話で「わずかな思考は人を生から遠ざけるが、多くの思考は人を生へと連れ戻す」と書き、不条理の問には「高みを目指しての努力はそれ自体人間の心を満たす」と答える。カミユは情念がとぐろを巻く生の世界へ戻って行ったのだろうか。それで幸せだったのだろうか。

 「空の空、空の空、一切は空である」と嘆いたコヘルトは言う「神は人間をまっすぐにつくったのに、人間はさまざまな策略を練ろうとするのだ」「知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みもます」。そして言う「太陽の下、私は振り返って見た。足の速い者のために競争があるのでもなく、勇者のために戦いがあるのでもない。知恵ある者のためにパンがあるのでもなく、聡明な者のために富があるのでもなく、知恵者のために恵があるのでもない」世界は不条理であり、全ては空。

 それでも不条理に耐える農夫は美しかった。その美しさは厳しい自然の中で生きる野生動物たちが見せる美しさだ。「知恵はその人の顔を輝かせ、その顔の険しさを和らげる」それはコヘルトの言葉。そこに彼の美しさの秘密があるのだろうか。彼の得た知恵とは何か。全ては空であるこの世界で、彼は空っぽの先にある世界にいるのだろうか。マグノリアの目線の先には相変わらず寡黙な貴婦人のように沈黙する灰色の空があった。

 空の空。マグノリアは呟く。

 余分なものが何もない美しい世界。

 そこは僅かな生き物の気配すら感じられない。

 そう、そこは無。

 そこは生き物の住む世界ではない。

 生命の証であっる息吹すら余分な世界。

 命あるものがとどまることを許されるような世界ではない。

 そこは真に生きるものが望む世界ではない。

 真に静寂な世界…。

 マグノリアの中に新たな了解が生まれた。その時、空の空の世界の静寂の守りが破られ、灰色のベールの貴婦人からの声が聞こえた「マグノリア、崖を降りなさい」。

 それ以来、マグノリアの心と思考は、崖を覆う灰色の空と同じように曇っている。マグノリアは雲のかかった心で考える。空っぽの風が吹き抜ける美しいこの崖を降り、湿った情念がとぐろを巻く大地で生きるために必要なもの。それは生への執着だろうか、権力への欲望だろうか、愛や正義への幻想だろうか…。生の意味を失ったマグノリアの世界では、欲望すら意味を持たず、幻想さえも育たない。マグノリアは、命を生きるための大地を探しあぐねている。

 

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