小さな物語

日常の中で、ふっと頭に浮かぶイメージや言葉を追いかけていく…、 そこから出来上がる小さな作品です。

マグノリアの物語 no.2

 でっぷりとした腹の男が、左右に大きく身体を揺らしながら遠ざかっていく。男はどんなに断られても簡単にめげるような男ではなかった。マグノリアはテラスで香を焚き、夕暮れの風の中、籐の椅子に沈み込みながら男を見送っていた。

 その男の心臓は誹謗中傷、罵詈雑言をものともせず、狙った獲物に向かって執拗に食らいついていくタフさを持っている。彼の丈夫な胃は少々の毒にも暴飲暴食にもへこたれないだろう。添加物だろうがコレステロールだろうがアルコールだろうが、何でも消化吸収する頑丈さを持っている。男はこの地にリゾートホテルを建てたいらしい。こんな何もない崖の上に。彼は言う「何もない、これが今セレブの間で大変な人気なんです。自分を空っぽにするために静かに座るという禅が高い支持を受けているんですよ」

 現代人は欲望に疲れたのだろうか、確かにそうかも知れない。本当に欲望から離れたいのだろうか、そうは思えない。少なくとも彼は違う。こんな崖の上まで現世利益の欲望を抱えて登ってきた。彼の欲望への情熱はきっと昔と少しも変わっていないのだろう。彼のような人は何もないという至福の人生とは無縁だろう。世界は彼のような多くの人々の欲望でこれほどまでに豊かになった。それはおそらく事実だ。そして多くの人々の欲望のぶつかり合いで多くの悲しみの涙と血が流された。それも事実だ。マグノリアの思考が動き出す。

 丈夫な胃袋と頑丈な心臓と現世的成功は相関があるのだろうか。丈夫な胃袋と頑丈な心臓は少なくとも現世利益を獲得するための武器として機能しているようだ。彼らの住む現世利益の世界は弱肉強食の世界だろうか。強い者大きい者が勝者であり、強いこと大きいこと、より多くの利益を得ることが、彼らにとって最大の価値である。彼らの食欲に腹八分という発想はない。常に満腹に次ぐ満腹だ。自らの胃袋を常に超えていこうとする人間の果てしない欲望と弱肉強食が結びついた世界、その行き着く先にどんな世界を想像できるだろうか。

 際限なく肥大化しする欲望の貪りで音もなく溜まっていくコルステロールが彼の目を塞ぎ、耳を塞ぎ、手当たり次第に自然を人を飲み込んでいく。マグノリアの心の中に、彼らの中に小さく宿っていた人間の良心が声も立てずに自爆するイメージが浮かんできた。その一方で欲望に疲れた人々の心は痩せ衰え、世界は幅を失い、深さを失い、柔軟性を失い、硬直し、ひび割れていく。それらの無数のイメージ像はマグノリアの心の中で一つに集まり次第に重さを持ちはじめた。

 足元で燃え尽きようとして燻る香の香りがマグノリアを刺激した。その時一陣の風が舞い上がり、燻る香の香りと共に重さを増したイメージを吹き払っていった。マグノリアの心は空っぽの世界を求めはじめた。マグノリアは目を瞑り空気の匂いや硬さ、風の旋律に意識を集中させ思考を止めると、時間と空間の折目から抜け出し空っぽの世界へ旅に出た。

 空っぽの世界はいつものように美しい世界を描き出した。愛も憎しみも高貴な者も賎民も、そして善と悪さえも無意味に還す世界。それはあるがままの世界だろうか…。何処までも透明な世界、それは美しい世界だろうか、残酷な世界だろうか…。

 

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