小さな物語

日常の中で、ふっと頭に浮かぶイメージや言葉を追いかけていく…、 そこから出来上がる小さな作品です。

ジェンとケイトの物語 no.2

 「ねえケイト、もし死ぬ場所が選べるとしたら、深海と宇宙とどっちがいい」ジェンがキャンパスの芝生の上で体を起こしながら言った。ケイトはジェンの隣で仰向けで寝そべり、大学の建物の先端にそびえ立つ時計台とその向こうの空を眺めていた。空にはどこからやってきたのかこの辺りでは見かけない鷹が悠々と舞っている。

 「ねえ、どっちがいい」ジェンはケイトの顔を上から覗き込む。子どものような屈託のないジェンの笑顔と声がケイトに真っ直ぐ向けられている。その無垢な笑顔を見せるジェンは、無垢な心をほとんど失わずに大人になろうとしている。

 ジェンとケイトは幼馴染みの親友だ。大学ではジェンは美術の道を、ケイトは哲学の道に進んだ。ジェンもケイトも卒業後の進路に悩むのはまだまだ先のことではある。しかし、そう遠くない時期に向き合わなければならない問題だ。学生生活を終わらせ実社会に出るということは、大きな野望や人を蹴落とす勇気を持ち合わせていない平和主義者にとって、安全な船から荒波に放り出されるようなものだと感じるだろう。世間はどうやら想像以上に暴力と悪意に満ちている。自分の感覚が世間からずれていると感じているケイトとジェンにとってそれは厄介に感じる問題だった。

 「ねえ、どっち」ジェンは子どもが親にゲーム遊びを無心するようにケイトに答えを無心する。 

 「そうねえ」ケイト体を起こしながら考えはじめた。深海も宇宙も静かだ。深海の水圧はどのくらいだろうか、光はどのくらいまで届くのだろうか、宇宙線の影響は、いや、これはジェンのゲームだそんな現実は無視していいだろう。ケイトは幻想的な想像を膨らますことにした。深海の場合は深く々々沈み込んでいき、やがて海の底の固い大地が私の身体を受け止め、やわらかな海水が私の身体を包み込み、のんびりした海の生き物たちに囲まれ、柔らかな光と色彩の穏やかな世界で眠りにつくだろう。それも決して悪くない。宇宙の場合は、そう、宇宙の場合は私を支えるものは何も無い。無限の空間の中で無限に漂う。上も下も無く、前も後ろもなく、昼も夜もない。漆黒の宇宙で、無限の時間と空間の中で大の字になって浮かぶ。その時きっとこう思うだろう、あぁやっと還ってきた、私の魂のふるさとに。

 「宇宙がいいわ」

 「なぜ」

 「宇宙の方が深海より未知数が大きいから」ケイトはボソッと言った。ケイトは嘘をついたわけではない。それも宇宙を選んだ理由の一つだからだ。だがその答えは正直な答えとは言い難かった。ケイトはそれを自覚していた。何故なら宇宙は自分の魂のふるさとだと、理屈を超えてケイトの心が叫ぶからだ。ただケイトはナイーブな私的な幻想を他の人に話す気にはならなかった。

 「相変わらずケイトはクールね」ジェンは悪戯っぽく目を歪ませて笑った。そうな目をしてみせた。ジェンは思う、ケイトはいつも無表情にシンプルに答える。ケイトとは、そういう女の子である。女の子という言葉が似合わない女の子である、っと。それはケイトの顔立ちや体つきが男のようであるとか、話し言葉が乱暴であるとか、世間ズレしているとかいったことではない。むしろ顔立ちは美人で、サラサラのストレートな黒髪が魅力的で、スタイルもすらりとしている。ケイトに欠けているのは、女の子の甘さや可憐さなのかもしれない。

 そんなケイトはそのクールな顔で空を見上げている。ジェンがその目線の先を追うとそこに鷹がいた。「鷹だね、こんなところに鷹なんて、珍しい」ジェンが好奇心の声をあげた。

 「鷹の視力は人間の500倍とも言われるの。そんな目で空高くから世界を見ることができたら一体何が見えるのだろう」ケイトが言う。

 「うわぁ、それって見たいような見たくないような感じ。でも大空で翼を広げて飛ぶ鳥って憧れちゃう。それって、月並みだけど自由の象徴よね」ジェンは目を丸くして鷹の飛行を追う。

 そんな無邪気なジェンを眺めながらケイトは思う、世界で起こっていることの何もかもがよく見える視力で大空を渡る人間、そんな人間は本当に幸せだろうか、自由だろうか。

 

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