小さな物語

日常の中で、ふっと頭に浮かぶイメージや言葉を追いかけていく…、 そこから出来上がる小さな作品です。

ジェンとケイトの物語 no.5

 その日は天気のはっきりしない日だった。ケイトは地下鉄のホームで電車を待っている。ケイトの前に7、8歳ぐらいの顔立ちの良い女の子がミッション系の制服を着て母の隣に行儀よく立っていた。隣に並ぶ母もまた顔立ちの良いすらっとした女性で、センスの良い服を身につけ真っ直ぐ前を向いて立っていた。電車はなかなか来なかった。その間ケイトはその親子の様子を斜め後ろから見るとはなしに見ていた。

 なんて行儀よく我慢強い子なんだろう、躾の良い子だ、裕福な家庭の親子だろうか、綺麗な親子だ。が、やがて親子の様子に違和感を感じはじめた。なんだろうこの嫌な感じは、そういえば彼らは一度も会話も視線も交わしていない、手も繋がれていない。ケイトの中に悲しい感情が湧いてきた。あの女の子はどんな思いでそこに立っているのだろうか、この親子の日常はいつもこんなに冷めているのだろうか。

 やがて電車が来て親子はその電車に乗り込んだ。ケイトは行き先が違ったので次の電車を待った。その間ケイトはその親子について考えることを禁じた。悲しくなるからだ。間もなく目的の電車が来てケイトは乗り込んだ。扉の脇に立ち窓に映る暗い景色を眺めていた。ケイトのそばの座席には登山帰りの親子がいた。父と幼い女の子が座席に座り、その前に母が立ちその母を挟むように男の子二人が立っていた。

 「ねえねえ」兄と思われる男の子が母に向かって遠慮がちに声をかける。母は気づかないのか振り向かない。「ねえねえ」男の子は続けて母に声をかける。何度も何度も。どうやら母はその声を無視しているようだ。そのうち反対側の弟が母に話しかけた。母は直ぐに彼を見て楽しげに話をする。やがてその楽しげな会話に父も加わった。

 その傍で兄が再び遠慮がちな声で母に声をかける。だが母も父も兄を完全に無視する。それでも兄は母に声をかけると母はようやく兄の方に顔を向けた。しかしその顔は敵意に満ちていた。ケイトの心は激しく痛んだ。この親子の絆はどんなナイフで断ち切られたのか、この親子にどんな不運が襲ったのだろうか。

 電車はケイトの目的の駅に着き、ケイトはその親子を置いて電車を降りた。地上への階段を昇りながらケイトは悩んだ。私にもあんな災難は起こるだろうか、我が子を愛せないという災難が…。足元に地上の光が射し込んできた。どうやら外は晴れたようだ。

 ジェンならどうだろう、ジェンにもあんな災難が起こるだろうか、あの天真爛漫な顔で笑うジェンにそれは想像しにくい。それでも災難とは思いがけない時に思いがけない形でやってくる。それを人は不条理という。

 地上に出ると、通りを挟んだカフェテラスにジェンの姿が見えた。ジェンはケイトを見つけると満面の笑みで手を振ってケイトを呼んだ。ケイトは手を振って呼びかけに応える。悲しみで暗くなっていたケイトの心に陽が射した。やっぱりジェン に限ってそれは無い。ジェンに何かあったら私が守る。そんな思いがケイトの弱気になっていた心に強さを呼び覚ました。その強さは心に光を与え、幸せな感情が湧いてきた。

 ジェンに向かって足を早めるケイトだが、心は少し戸惑っていた。人の心はなんと移ろいやすいのだろう。ちょっとした心の動きで人は幸せにも不幸になる。そもそも心は存在自体が幻想に近い、頭の中の問題なのだ。なのにニュースを賑わす痛ましい問題のほとんどは人の心や頭の中の問題だ。

 人間の思考はどこかチグハグだ。人間の創造性に富んだ脳はどうしてこうも粗雑な幻想を生むのだろう。「精神は痴呆だ」と言った哲学者がいた。精神とは一体何か、その正体とは何なのだろう。人は何のために考える意識に目覚めたのか。考える意識が弱肉強食のための、生存競争のためだけの道具であるならば、動物レベルの意識で十分なはずだ。創造性と好奇心に富んだ人間の考える意識は、一体何を求めどこへ行こうとしているのだろう。ケイトの思考は空を彷徨い当てもなく放浪する。

 

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