小さな物語

日常の中で、ふっと頭に浮かぶイメージや言葉を追いかけていく…、 そこから出来上がる小さな作品です。

No.13 南に面したテラスからの眺めは開けていた

No.13 南に面したテラスからの眺めは開けていた 

 

 南に面したテラスからの眺めは開けていた。そこは雑草が茂る空き地が広がっているだけだった。空は穏やかに晴れ、小鳥のさえずりが静かな一日のはじまりを告げている。テラスのテーブルには好物のフレンチトーストとフルーツの甘い香りが鼻をくすぐり、コーヒーの香りが一日のはじまりに活を入れた。

 この家は村外れにあり、隣の家の玄関までは歩いて三分はかかる。彼女の暮らした都会の町では家同士が肩を寄せ合うように並ぶ町だった。そんな彼女にとって隣の家まで三分の距離というのはとても遠く離れている感覚だ。そんな都会生まれで都会暮らしだった彼女にとって慣れない環境への移住に周囲は皆心配した。しかしこの家で何十年も立派に独り暮らしを全うした大叔母も、都会生まれの都会育ちだった。だから彼女はこう思った「私にだってきっとできる」と。

 彼女が二杯目のコヒーをすすっていると、車のエンジンの音が聞こえて来た。お隣さんはいつもこの時間に小さなトラックに乗って彼女の家の前を通る。車のエンジン音が近づいて来るとトラックに乗った夫婦が彼女に向かって、朗らかな声で「おはよう」と挨拶をくれた。彼女も夫婦に届くように大きな声で挨拶を返した「おはようございます」。

 車のエンジン音が遠ざかると、後には風の囁きと鳥たちのさえずりと、穏やかな陽射しだけが残った。満ち足りた気持ちでぼんやりと目の前の空き地を眺めている。伸び伸びと茂る雑草の向こうに、村の中心部が遠くに小さく見える。そこには建設中の背の高い建物があり、建物の高さは今や村の常識を遥かに超える高さになっている。それは、彼女が都会に置いて来た風景、バベルの塔を建て続ける都会の風景と重なって見えた。

 

 

「牛飼いと天の陽と風の妖精」

 

 牛飼いの目線の先には草に覆い尽くされた古代の遺跡が、まるで小高い丘のようになだらかな台形を描き、大地に寝そべるようにして鎮座していた。その足元ではところどころで石垣が顔を覗かせている。その手前で牛たちが大地の草を喰んでいる。草の匂いが深い呼吸とともに体の隅々にまで染み渡る。そんな大地で牛飼いはいつもと変わらないひと時の中にいた。天の陽は穏やかで風の妖精は無口で大地は平穏な静寂だった。

 昼が過ぎ太陽が天の階段を降りはじめた時、風の妖精の驚く声とともに聴き慣れない機械の音が聞こえてきた。やがて機械の音はブルンブルンゴォーゴォーガタガタという無作法な音を轟かせ、黒い二つの点とともに草に覆われた遺跡に近づいてきた。平穏だった静寂な大地に無作法な音を立ててやってきたのは二台の小型ジープだった。

 ジープが遺跡の前で止まると、先頭のジープからスーツ姿の男が体の土埃を払いながら降りて来て、草に覆われた遺跡を眺めた。続いてジャンパーを着た背の高いもう一人の男が降りて来て、スーツの男と何やら話し込んでいる。後続のジープからも作業服姿の男が二人降りて来ると、遺跡の周りを歩きはじめた。しばらくするとスーツの男が運転手の待つジープに戻り、その後をジャンパーを着た背の高い男が追いかけるようにして慌ててジープに乗り込んだ。二人が乗り込むとジープは直ぐに走り出し遺跡の周りを回り出した。遺跡の周りを歩いていた作業服の男たちも慌てたようにジープに戻り、先に走り出したジープを追いかけた。ジープは遺跡の周りを二、三周するとそのまま走り去って行った。

 その後半年ほどして、何台もの小型トラックと作業員がやって来て遺跡の周りを調査しはじめた。さらに半年ほどすると、大型トラックと大勢の作業員がやって来て遺跡の草を払って丸裸にし、その上部を綺麗に平らに馴らした。そうして彼らの社運を賭けた一世一代のプロジェクトがはじまった。

 彼らは遺跡の上に赤土色のブロックを積み上げていった。円形にうず高く積み上げられたブロックは次第に威圧感を身につけ、かつて素朴な小高い丘に過ぎなかった遺跡は今や威厳のある建造物へと変貌を遂げた。赤土色のブロックを積み上げた巨大な建造物はまるで禿山のようだった。その禿山を背景に牛たちは変わらず大地の草を喰んでいる。天の陽も相変わらず穏やかで風の妖精は無口で大地は平穏だった。

 ある日、工事の現場監督は現場に架かけられた梯子から降りて来ると、筋肉の盛り上がった腕を振り上げ作業員たちの手を止めさせた。作業をやめた作業員たちは大地で寝転び止まった時間を過ごしていた。現場監督は苦虫を噛み潰したような顔で建造物を見上げたまま動かない。どうやら問題にぶつかったようだ。そうして現場が止まったまま半月が過ぎた頃、ジープに乗ってジャンパー姿の背の高い男がやって来ると、現場監督と背の高い男の長い口論がはじまった。口論の間、現場監督は常に怒っていた。その怒りは遂に解消されることなく口論は打ち切られ、現場監督は打ちひしがれた。

 そして工事が再開し、再びブロックが積み上げられていったが、そこでまたもや現場監督の手が上がり工事が中断された。どうやら又も問題が発生したようだ。再びジープに乗ってジャンパー姿の背の高い男がやって来て現場監督と口論をはじめた。この時も現場監督は常に怒っていた。そしてその怒りは今回も解消されることなく口論は打ち切られ、その半月後、幾分軽くなったブロックが運び込まれ工事は再開された。

 軽くなったブロックのおかげで工事のスピードが上がり、ブロックはさらに高く積み上げられていった。しかし再び問題が起こり、再びジャンパー姿の背の高い男がやって来て口論が再開された。そこでも現場監督の懸念は受け入れられず、堪忍袋の緒が切れた彼はレスラーのような逞しい足で梯子を蹴っ飛ばすと、大地を踏み鳴らしながら現場を去って行った。天の陽は相変わらず穏やかだったが風の妖精が何やらヒソヒソ話をはじめ、大地の上を忙しく行き来した。お陰で大地は幾分か平穏を乱された。

 再び工事が再開された時、新任された現場監督は挨拶を省いてメガホンを響かせながら遅れた工事を急がせた。そうして遺跡の上に積み上げられたブロックの高さは既にかなりのものになっていった。天の陽は相変わらず穏やかだったが、遺跡の周りでは風の妖精たちのヒソヒソ話がいっそう騒がしさを増していった。牛たちは風の妖精たちの騒がしさをその細い縄のような尻尾で振り払い、高く積み上げられていく遺跡の建造物に背を向け大地の草を喰んでいる。

 工事は順調に進み完成間近に思えた。そんなある日、新任の現場監督のもとに上司からの伝令が届いた。それを聞いた現場監督は眉間にシワを寄せてしばらく固まっていたが、やがてメガホンを取り工事の中断を告げた。その数日後、更に新しくなったブロックを携えジャンバー姿の背の高い男がやって来て、現場監督との打ち合わせが行われた。打ち合わせの間中、現場監督の顔は険しかった。

 その翌日工事は再開された。ジャンパー姿の背の高い男が持って来た新たなブロックの表面には「Higher」という文字が書かれていた。現場監督のメガホンのもと「Higher」は積み上がっていった。「Higer」は以前より更に軽くなっていた。だが現場の人間たちは、軽さだけでなく「Higher」の脆さを感じ取っていた。

 梯子は天に向かって真っ直ぐに伸び、その高さは目が眩むほどになていた。現場監督は、長さの限界を超え、ひょろ長く伸びた梯子と、脆さを見せる「Higher」と書かれたブロックを睨みながら黙っていた。現場の安全管理は現場監督の大事な仕事のひとつだ。やがて彼は工事を中断させた。どこの世界でも工事の遅れは上層部を苛つかせる。そんな上層部の苛つきを携え、ジャンパー姿の背の高い男が再び現場にやって来て現場監督と頭を突き合わせた。その結果、現場監督は懸念の全てを投げつけて去って行った。

 牛飼いは天に向かって伸びる塔のような建造物の天辺を見上げた。そして視線を牛たちに戻しながら溜め息をついた。牛飼いは今や塔の天辺と、大地の草を喰む牛たちとを同時に視界に入れることが困難になっていた。天の陽は少し陰りを見せはじめたようだった。その下で風の妖精たちのヒソヒソ話は既にヒソヒソ話といえる音量を超え、塔の周辺の風は勢いを増していた。牛飼いは立ち上がり、牛を引き連れ牛たちが健やかに育つ環境を求めて歩き出した。

 工事は再び新しいブロックと新しい現場監督のもと再開された。さらに新しくなったブロックはまるでパズルのような複雑な形をしていた。そのブロックには「Higher」の文字の脇に小さな字で細かな指示が書き込まれていた。新しい現場監督の手元には本社から送られて来た詳細な設計図があった。彼は設計図に書き込まれた細かな指示とブロックに書き込まれた指示を突き合わせながら工事を進めた。現場はいつだって机の上の設計図と微妙なズレが生じるものだ。しかし、現場監督はそのズレを無視し、病人が病を押して仕事をするように、無理を承知で工事を進めていった。ブロックはどんどん高く積み上がっていった。

 今や古代の遺跡の上に建てられた建造物は天に向かって聳え立つ塔のようなものになっていた。その頃になると強い風が度々塔を揺さぶるようになり、その様子を遠くから塔を眺めていた牛飼いは、強風が吹く度「Higher」と書かれたブロックの層を境に塔が僅かにずれ動くのに気づいていた。

 その日は最近では珍しく穏やかな晴れの日だった。そんな中、上層部の人間たちがスポンサーを連れ現場見学にやって来た。彼らは天高く聳え立つ塔に歓喜の声を上げ、内側から立ち上がってくる欲望の快感に興奮した。上層部の人間たちは往々にして天を目指すのが性なのだ。そうして彼らの更なる欲望が動き出した。その欲望は「To heaven」というプロジェクトを生み出した。そうして「To heaven」という新しいブロックによってプロジェクトは更なる推進を遂げる。

 「To heaven」のプロジェクトの名のもとに送られて来た新たなブロックは以前に増して複雑な形をしていた。さらにブロックの重さは紙切れのように軽く、中身が殆ど空っぽで「To heaven」の文字とその脇に細かな文字で詳細な指示がびっちり書き込まれていた。もはや作業員も現場監督もその指示の意味するところが分からず、それどころか指示の内容すら理解できない状況になっていた。何をどう繋ぎ合わせるのが正しいのか、ブロックの向きは順番はこれで大丈夫なのか。もはや熟練者の経験や五感に頼ることはできず、作業員も現場監督もブロックが正しく安全に積み上げられているという確信を得る術を失っていた。

 そんな彼らが確実に分かっていることは、ブロックを積み上げる先は天の雲にも届きそうなほど遥か彼方の天辺であり、設計図やブロックに細かく書き込まれた指示の中で正確に理解できたことは「To heaven、天へ」、ただそれだけだった。

 そんな状況を嘲笑うかのように塔を揺さぶる強い風が吹きはじめた。紙切れのように軽くなっていた「To heaven」のブロックは風にいいように揺さぶられ、ただなす術もなく、儚い葦のように頼りなく揺れるばかりだった。塔はやがて制御不能なほど大きくぐらつきだし、今にも崩れそうだった。そして誰もが懸念したように塔は無残に崩れ落ちた。ただ幸いに紙切れのように軽くなっていた「To heaven」と書かれたブロックの一部は、そのまま上へ上へと昇って行った。つまり、必ずしも彼らの望んだような形ではなかったが「To heaven」という彼らの野望は文字どおり達成された。

 やがて塔の周囲に吹き荒れていた強風は遠くに去り、遺跡の周りには再び穏やかな風が戻って来た。その後、古代の遺跡は以前よりやや面積を広げ高さも以前よりやや高くなったものの、以前と同じように草に覆われ、以前と同じようにところどころで石垣が顔を覗かせていた。ただ、以前と違って石垣に混じって「Higher」や「To heaven」の文字が見えていた。

 そこへ牛を引き連れて牛飼いが戻って来た。少しばかり形が変わってしまった遺跡を前に牛たちが大地の草を喰んでいる。天の陽は穏やかで風の妖精は無口で大地は平穏な静寂だった。草の匂いが呼吸深くに染み渡る大地で、牛飼いは懐かしい時間の中にいた。

 

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