小さな物語

日常の中で、ふっと頭に浮かぶイメージや言葉を追いかけていく…、 そこから出来上がる小さな作品です。

No.5 夜も更け、田舎の静けさは一層深まっていた

No.5 夜も更け、田舎の静けさは一層深まっていた 

 

 夜も更け、田舎の静けさは一層深まっていた。リビングのテーブルの真ん中に、高級コールガールのような、ツンっと澄ました顔をした黒い箱がひとつ置かれている。その箱に収まった魅惑的なチョコレートが「おひとつ如何」と彼女を誘っている。彼女はその甘い誘惑と睨めっこをしながら、田舎に引きこもり、世間から距離をおいた大叔母の生き方について考えていた。浮かんでくるイメージはどこか不器用なイメージだ。それは彼女にも通じるものがあるように思え、何だか胸騒ぎを覚える。その不器用さはどこからくるのだろうか。

 彼女にとって世間は謎であり正体を図りかねている。従って彼女はいつも、世間が幅を利かせるところでは躊躇いがちに生きている。彼女はそんな謎めいた世間に目を瞑って飛び込む覚悟も勇気もなかった。したがって彼女は世間に対して、どこか観察者のような立場でいた。そんな彼女は世間の波に乗ることを躊躇い、枠に嵌ることを躊躇った。

 一方で、世間に疑いを持たない人たちが、この世間を大らかに自由に渡って行くのを横目で見ていた。彼女は何だか自分がとてもネガティブな人間に思え、劣等感を覚えていた。そして、現実的で要領の良い人たちをちょっぴり羨ましくも思っていた。

 

 

ブラックボックス

 

 私はその黒い箱を目の前に、妹とふたり大理石の大きなテーブルを前に並んで座っている。その黒い箱、つまりブラックボックスはテーブルの中央よりやや左寄りの位置にある。テーブルの大きさは、だいたい長さ2.5メートル、巾1.2メールぐらいで、ブラックボックスの大きさは、長さ60センチ、幅40センチ、高さ40センチぐらいだった。

 部屋には隣に並んで座っている妹と、私のふたりだけだった。妹は右隣りに座っている。その部屋はオフホワイトを基調とした品の好さが漂うダイニングだった。ただ、余分な調度品は一切ない。磨き抜かれた大理石の床とテーブル。椅子は私と妹の座っている二脚だけ、高い天井にはクリスタルの照明。窓はない。ひとつだけあるドアからは、人の出入りする気配はまったくない。空気は乾いていて、僅かな物音でも尖った音で響いてしまいそうだ。

 テーブルの上の長方形のブラックボックスは私の真正面にあり、長方形の長い方の側面を私に見せている。その左右に、小さなラッパの先のような形をしたものがついている。私がじっとそのブラックボックスを眺めていると、突然、左上の方の空間から何かが生れた。それは光のようなモヤのようなものだった。そしてその何かは、ブラックボックスの左の端のラッパ口に吸い込まれるようにして消えた。しばらくすると、今度はブラックボックスの右端のラッパ口から、何かがゴロッと出てきた。それはなんとも美味しそうな色の果実だった。こんな見事な果実は見たことがない。

 いったい、これは何だろうと思っていると、右にいた妹が、すっと手を伸ばして、その果実を手にした。私はそれを黙って見ていた。すると、妹は大きな口を開けたかと思うとガブリと一口かじり、実に美味しそうな顔をした。妹はその果実を最後まで綺麗に食べ、満足そうな顔でニッと笑った。私はただ見ていただけだった。仕方なく、私はまたブラックボックスを見ていた。すると、また左上の空間から光のようなモヤのようなものが生れ、ブラックボックスの左側のラッパ口から吸い込まれていった。

 しばらくすると、またブラックボックスの右側のラッパ口から、大きな果実がゴロッと出てきた。やはり、見たことのない見事な果実だった。果実は転がって妹の前で止まった。妹はまたニッと笑って、果実を手に取りガブリガブリと食べはじめた。すべて食べ終わると満足そうな顔でまたニッと笑った。私はまた見ていただけだった。そのとき、少しだけ何だか残念な気がした。そしてまた、私はブラックボックスを見つめた。ブラックボックスは、じっと黙ったままそこに在る。私は注意深く耳を澄ましてみたが、何も聴こえなかった。

 しばらくすると、また左上の空間から光のようなモヤのようなものが生れ、ブラックボックスの左側のラッパ口から吸い込まれていった。今度もまた、ブラックボックスの右側のラッパ口から見事な果実が出てきた。私は考えた。「手を出そうかどうしようか」その得体の知れない果実をじっと見ながら考えていると、そこへ妹の手がすっと伸びてきて、その果実を掴んでいった。妹はまたその果実を美味しそうに食べ、満足そうにニッと笑った。私はなんだかとっても残念に思えた。しかし私は、やはりブラックボックスのことが気にかかってしょうがない。

 再び私はブラックボックスを眺めた。以前より、より力を込めて眺めた。するとまた、今度も左上の空間から光のようなモヤのようなものが生れ、ブラックボックスの左側のラッパ口から吸い込まれていって、右側のラッパ口から見事な果実が生み出された。私はとってもその果実が欲しくなった。しかしブラックボックスの正体が気になってしょうがない。私はブラックボックスを睨みながら果実も睨んだ。そうしながらも私はその果実が欲しくて欲しくてたまらない。しかし私の手は一向に動く気配がない。そのうちまた妹の手が伸びてきて、果実を掴んでガブリガブリと食べニッと笑った。

 私は、少し動揺してきた。そして今度こそと全身に力を込め、またブラックボックスを睨んだ。そしてまた左上の空間から光のようなモヤのようなものが生れ、ブラックボックスの左側のラッパ口から吸い込まれていって、右側のラッパ口から果実が生み出された。私は果実をまるで親の敵のように睨んでいた。そして必死に手を伸ばそうとするが、何故か手の方は一向に私のいうことをきかない。全身の力を込め、息を詰めて睨みつづける私の顔は、しまいに茹で蛸のように赤くなった。顔を真っ赤にした私はすっかり頭がのぼせてしまったようだった。頭がボーッとしてきて、目の前の果実がゆらゆら揺れだしたかと思ったら、果実は魔法のように消えてしまった。 私はまたとっても残念に思った。

 こうなったらブラックボックスの中がどうしても知りたくなった。何故そう思ったかは私にも分からない。何故だか分からないが、とにかく猛烈に知りたくなったのだ。そこで私はブラックボックスを再び親の敵のように睨んだ。全身の力を込め、息を詰めて睨みつづけた。私の顔は再び茹で蛸のように真っ赤になり、頭がボーッとしてきた。続いていよいよ、ブラックボックスがゆらゆらしてきた。それでも息を詰め、そのまま睨みつづけると、ついに私の目の前からブラックボックスが消えた。

 私はしばらくして、ようやく呼吸を取り戻すと、ぼやけていた視界が徐々に戻ってきた。するとそこは何もない誰もいない白い空間だった。そのとき私は思った。「ああ、私はブラックボックスの中に入ったんだな」と。しばらく私はブラックボックスの中を眺めていた。そして何かが起こるのを待った。しかし何ごとも起こらなかった。何の音もしなかった。私は思った。「私の姿はきっと、世間から消えてしまったのだろう」少なくとも私がここに居る以上世間から姿を消してしまったに等しいことは確実なように思われた。少し寂しいような気がした。それでもこの静寂な空間は、それはそれで悪くないような気がしてきた。

 しばらくその何もない静寂な空間にひたっていると、何もない空間から突然光のようなモヤのようなものが生れた。それから私は、あの色鮮やかな見事な果実を思い出して思った。「ああ、せめて一口、ガブリとやってもよかったな」すると目の前が急に暗くなったかと思うと、私はブラックボックスの右側のラッパ口を通って、 ゴロッと外に生み出されていた。目の前には、妹の巨大な顔があった。

 

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